あけましておめでとうございます!今年も「これが俺のSASUKE道」をよろしくお願いします🙇♂️
昨年11月ごろから本格的に更新をスタートさせた本ブログですが、新年1発目ということでブログを開設した経緯やらSASUKEに対する想いを改めて綴らせていただきます。
いつものSASUKE情報紹介記事とはテイストがかなり異なりますが、最後まで読んでいただければ幸いです。
ブログを立ち上げた経緯
運営者情報でも少し書いてはいるんですが、主な理由は「SASUKE情報を網羅したサイトが欲しいな〜」と思ったからです。
SASUKEファンの中には、イベントに参加したりグッズを買ったりする熱心な人もいれば、たまたまテレビをつけてちょっとだけ興味を持つ人もいますよね。
また出場を目指して日々トレーニングに励む未来のSASUKEプレイヤーもいるでしょう。
そんな人々が、当ブログで紹介する情報を通してSASUKEのことをもっと好きになってくれたら良いな〜と考えております。
あとSASUKEファンが増えることで、番組がより盛り上がってくれたら良いな〜なんて願いも込められています。
管理人のSASUKE遍歴
管理人のSASUKEに関連する記憶を簡単にまとめました。(短いとは言っていない)
SASUKEに関する原初の記憶
強く印象に残っている最初の思い出は、2001年春の「SASUKE第7回大会」です。
ケイン・コスギさんのスパイダーウォークでのリタイアや、山本進悟さんの左肩脱臼によるFINAL STAGEの結末など、当時の自分にとってかなり強烈なインパクトがある回でした。
また当時は「忍者戦隊カクレンジャー」からの流れで、ケイン・コスギさん目当てで「スポーツマンNo.1決定戦」などの出演番組を追いかけていましたね。
まあつまり最初の方はSASUKE好きというより、ケインさんが好きだからSASUKEもその流れで見ていたって感じです。
ケイン・コスギの「悔し涙の雨」から熱心にSASUKEを見るように
そんなケインさん好きな当時の筆者からしたら、ケインさんが大活躍する2001年秋の「SASUKE第8回大会」は、とんでもない神回でした。
凄まじい雨の中、懸命に綱を登り続けるも儚く散ってしまったケインさんのFINAL STAGE。
当時小学生だった自分にはあまりにも衝撃的すぎて、ここから「SASUKEめっちゃおもろいやん!次から録画しよ!」ってなりました。
まあまさかその後21年間もケインさんがSASUKEに出なくなるとは、当時は想像もしませんでしたけどね(笑)
事故で筋肉番付が放送打ち切り…からの第10回記念大会
当時SASUKEは「筋肉番付」の2時間スペシャルとして放送されていました。
しかし2002年5月にSASUKEとは別企画の収録中に事故が発生してしまい、それが原因で番組が打ち切りとなってしまいます。
「SASUKE」は筋肉番付に紐づいた企画ということで、一緒に打ち切りになるんじゃないかと当時の筆者は不安を覚えていました。
結果としてはみなさんご存知の通り、2025年現在もSASUKEは続いているので全然そんな心配は杞憂だったわけですが、当時は本当にどうなるかわからなかったんです。
2002年9月に第10回記念大会が放送された時は、ホッと胸を撫で下ろしたのを覚えています。
そんな背景を踏まえると、山田勝己さんの「俺にはSASUKEしかないんですよ」という名言も、より奥深い意味が込められているような気がするんですよね。
全盛期SASUKEオールスターズに夢中になる
「SASUKE第11回から第17回大会」くらいまでは、ずっとSASUKEオールスターズの誰かしらが活躍していたので、本当に夢中になって見ていましたね。
今でこそネタにされている第12回大会の山田勝己さんの「手袋失格事件」ですが、当時は純粋にショックで「山田さん…なんでだーーー😭」と落胆していました。
活躍機会の多かった長野誠さんと竹田敏浩さんに対しては、特に熱心に応援していた覚えがあります。
思い出補正もあって、SASUKEの公式YouTubeチャンネルの過去回振り返り動画でも、第5回〜第17回辺りをリピート視聴することが多いですね。
自分と同世代の森本裕介の初出場を見て「凄い子がいたもんだ」と思う
長野さんが完全制覇をした次の「第18回大会」で、当時中学3年生だった森本裕介さんがSASUKEに初出場していました。
森本さんは筆者と同学年なので「同い歳でSASUKEに出てる子がいる!」なんて思っていました。
筆者もSASUKEに対する憧れはあったものの「出よう」と思うほどではありませんでした。
自分としては完全にテレビの中の出来事だと思っていたのですが、森本さんは違ったようですね。
また森本さんの出身地である高知県と、自分が当時住んでいた岡山県で緑山までの距離がそう変わらなかったため、そういう意味でも「森本って子、凄いな〜」と感心したのを覚えています。
オールスターズの衰退と新勢力の台頭で徐々に熱が冷める
全盛期のSASUKEオールスターズに憧れていたからこそ、漆原裕治さんを筆頭に登場した「SASUKE新世代」や「海外の有力選手」といった新勢力の活躍は、当時非常に歯痒い思いで見ていました。
(※現在はSASUKE新世代の面々も大好きですよ!)
SASUKEオールスターズが徐々に活躍できなくなり、特に竹田さんと長野さんが最後に3rdで脱落した「第24回大会」と「第27回大会」は、悔しくてたまりませんでしたね。
また第25回大会で「アルティメットクリフハンガー」が初登場した時に「こんなん誰ができるんだよwwwwwww」と呆れてしまったのも、SASUKE熱が冷めていった原因のひとつです。
就職を機に上京して一時期テレビなし生活となり、関心が薄まる
2012年4月に就職して上京した際に、テレビを買わなかったので「テレビ番組を見る」という習慣がなくなった時期がありました。
PCは持っていたので、テレビを見ない代わりにSkypeで地元の友人と通話したりネットサーフィンしたりしていましたね。
なのでSASUKEが1年3ヶ月も放送されていなかったことや、2012年12月に「SASUKE第28回大会」が放送されていたことも、その回がSASUKEオールスターズ引退回と銘打たれていたことも知りませんでした。
お金ができてテレビを買うも、SASUKEに対する熱はかなりライトに
2013年に入ってお金に余裕ができたのでテレビを買いました。しかしテレビを見ない生活が続いたせいか、テレビ番組よりもレンタルDVDを見ることのほうが多かったですね。
SASUKEに対する関心も落ち着いたままで「テレビでたまたまやってれば見る程度」の存在になっていました。
なのでこの辺りのSASUKEは、リアルタイムの記憶があまりありません😅
SASUKE PARK in 豊洲に友人と参加する
2014年夏に、東京の豊洲で開催された「SASUKE PARK in 豊洲」に参加しました。
学生時代の友人もSASUKEが好きで、友人からの誘いで遊びに行ったんですよね。
漆原さんや日置さんと写真を撮らせていただいた覚えもあります。(機種変でデータ紛失したけど…😭)
SASUKEのエリアが体験できる貴重な機会で、とても楽しかった思い出です。
とはいえテレビ放送の方のSASUKEは、仕事が忙しかったこともありあまり見てはいませんでした。
仕事が忙しくなりすぎて完全にSASUKEを忘れる
2015年〜2019年までは、完全にSASUKEから気持ちが離れてしまっていた時期で、全く見た記憶がありません。
仕事が忙しくなりすぎたのが一番の理由で、その頃は生活の全てが仕事中心に回っていました。
なので森本さんが初めて完全制覇したことや長野さんが引退したこと、漆原さんの衰退から復活といったエピソードは、当時は全く知りませんでした。
竹田敏浩のYouTubeチャンネルをきっかけにSASUKE熱が復活
2020年の春ごろ、YouTubeのおすすめでたまたま竹田敏浩さんが経営している加圧ジムのYouTubeチャンネル「An Channel」が流れてきました。
見つけた当時は「竹田敏浩!懐かしい〜昔好きだったなぁ〜」くらいのノリで見始めたんです。
しかし竹田さんが第36回大会で大怪我をしてから、SASUKE復帰のためにトレーニングを頑張っていることを知り、徐々に自分が見ていなかった時期のSASUKEのことも知っていきます。
森本さんの1回目の完全制覇や漆原さんの引退宣言からの復活劇なんかも、この頃に初めて知りました。
竹田さんをきっかけに一気にSASUKE熱が復活した筆者は、実に10年ぶりにSASUKEをリアルタイムで見ることになります。
第38回大会の森本さんの完全制覇に感銘を受ける
久々のリアルタイム視聴となった「SASUKE第38回大会」は、とんでもない神回でした。
何よりも自分と同い年の森本裕介さんが、2回目の完全制覇を果たしたのは大きな衝撃でした。
第38回大会を見るまで、筆者の中の森本さんに関する記憶は「SASUKE好きな自分と同い年の少年が出ている」という程度のもので、トッププレイヤーという印象はまるでなかったんです。
しかし森本さんは他の選手が脱落したクリフハンガーディメンションを唯一突破したり、雨の中のFINAL STAGEで2度目の完全制覇を成し遂げたりして、とんでもない実力者だったことを筆者に知らしめました。
森本さんの活躍を見て「自分も努力をしたい。そしていずれは同じ舞台に立ちたい」と思うようになります。
運動歴ほぼ0の30代がSASUKEトレーニング開始
森本さんは元々運動(というか球技)が苦手な少年だったそうです。でも「SASUKEが好き。完全制覇したい」その一心で弛まぬ努力を続け、誰も到達できない高みまで上り詰める存在になりました。
その姿勢に感銘を受けた筆者は、第38回大会終了後から、SASUKE出場に向けてトレーニングを開始します。
筆者も球技は苦手で、中学時代にサッカー部、高校時代にバドミントン部に所属していたものの下手クソすぎていつも補欠だったり、部員からいびられたりしていました。
SASUKEみたいなアスレチックで遊ぶのは好きでしたけど、ガチの運動は社会人になってからは全くしてなかったので、運動歴はほぼ0みたいなものです。
それでも、今の自分ができる精一杯のことをやろう。少しでも森本さんや森本世代の人たちに近づけるように頑張ろう。
そう思って腕立て、縄跳び、ランニング、水泳、懸垂、坂道ダッシュなど、身体能力向上に繋がりそうなトレーニングは思いつく限りなんでもやりました。
SASUKE出場予選会に2年連続で挑戦するも挫折を味わう
日々の努力を試す場として、SASUKE出場をかけた予選会に2年連続で参戦しました。
2022年はオレンジの96番、2023年は赤の25番で出場しています。
どちらも特に見せ場もなく1st STAGEの「エンドレス腕立て伏せ」で脱落しているので、まともに映ってないモブ中のモブですがw
2023年の予選会には、予選会前に赤坂のイベントで出会ったSASUKE友達も参加しており、そっちはかなり惜しいところまで残っていました。
周りとの実力差を明確に突き付けられた筆者は「運動歴ほぼ0の自分が多少努力したところで、やっぱり勝てるわけがないんだ」と軽い絶望感を覚えます。
やっぱり自分が何かを成し遂げるなんて無理…運動やーめた!
予選会でかなり良いところまで進んでいたSASUKE友達は、とても良い人で筆者に自分のトレーニングメニューや食事内容、モチベーションを維持する方法なんかを共有してくれました。
しかしその内容を知れば知るほど、自分がやっていることとの差にコンプレックスを感じます。
「自分がやってる努力ってなんか全部しょうもねぇな」と思えてきてしまい、かといってSASUKE友達と同じトレーニングがいきなりできる体力があるかというとそれも厳しい。
そう思った筆者は「やっぱ自分がSASUKE出場を目指すには遅すぎたんだ」となり、次第に筋トレをしなくなりました。
勝てないことは努力しない理由にならないと思いトレーニング再開
SASUKE出場に向けたトレーニングはやめてしまいましたが、YouTubeでSASUKE関連の動画はよく見ていました。
そんなある日ふと思ったんです。
「SASUKEって『完全制覇できる実力がある人じゃないと出てはいけない』なんて決まりはないよな」って。
予選会で2年連続で惨敗したときは、周りとの力の差に絶望しました。
あの厳しい予選会を突破した人たちが本放送でなかなか結果を残せていないのを見て、さらに「自分なんかじゃもっと無理だな…」とも思ってしまいました。
しかしSASUKEに出場している人たちは、100人全員が完全制覇を狙える実力者かというと、そうではありません。
でもそんな人たちも、目の前のエリアを一つでも多くクリアしようと、自分なりの努力を重ねています。
それに気づいた時「周りに勝てないからといって、努力をしなくて良い理由にはならないな」と思うようになりました。
周囲と比べて「努力量・実力・若さ」どれをとっても負けていると感じ、一時は諦めてしまった筆者ですが、現在はトレーニングを再開し、自分ができる最大限の努力を日々やっております。
まとめ【頑張っていくので応援よろしくお願いします!】
ということでブログを立ち上げた理由と、筆者のSASUKEに関連するエピソードをまとめて紹介しました。
赤坂や丸の内のイベントに参加したり、収録観覧に参加した話なんかもありましたが、入れる場所がなくてカットしましたw
途切れ途切れではありますが、なんだかんだ20年以上も追いかけ続けているコンテンツであるSASUKE。
本当に大好きな番組なので、いつまでも続いてほしいと思っています。
自分がSASUKEに出れるかどうかはわかりませんが、出れなかったとしても努力を続けることは決して無駄ではないと思うので、これからも頑張っていきます。
SASUKEがより好きになるような記事を公開していくので、今後とも「これが俺のSASUKE道」をよろしくお願いします!!!!!